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鈴木亜由子マラソン記事「走るということが幸せだった」

鈴木亜由子選手の東京五輪ラソンの記事がありました。

 

www.chunichi.co.jp

 

ラソン19位・鈴木「走るということが幸せだった」

2021年8月8日 05時00分 (8月8日 05時01分更新)

 

女子マラソンで力走する鈴木亜由子選手=7日、札幌市で

女子マラソンで力走する鈴木亜由子選手=7日、札幌市で

 

 「今まで関わってくださった人たちが、誰一人欠けることなく力になった」。陸上女子マラソンで、十九位でゴールした愛知県豊橋市出身の鈴木亜由子選手(29)。上位には食い込めなかったが、レース後は言葉を詰まらせながら周囲への感謝を口にした。けがを乗り越えて大舞台に挑んだ姿を、家族や関係者は誇らしく見守った。

 

 「最後まで出し尽くそう」。そんな思いで、鈴木選手は歯を食いしばりながらゴールした。中盤から後退する展開に「ハーフを過ぎてから先頭集団につけなかった。力が及ばなかった」と悔しがりつつ、「練習してきたことを信じ、最後まで走り切れたのはよかった」と充実感も語った。

 

 暑さ対策で前日夜になってスタート時間が一時間早まったこの日のレース。影響を問われたが、「それはないです」と否定した上で「いろいろ変更があったけど、走るということが幸せだった」と振り返った42・195キロだった。


 両親は経営する豊橋市内の米穀店のテレビで見守った。給水ポイントの度に「ちゃんと水取れたかな」と心配そうに娘を見つめた母由美子さん(58)。「最後はよく粘ってくれた。ゴール後はやり切った顔をしていた」と目に涙をためた。「昨晩は眠れなかった」という父伸幸さん(63)は「苦しみながらもよく頑張った。少しゆっくりさせてあげたい」とねぎらった。

 

 時習館高校に通っていた時期に指導した夏目輝久さん(72)は、堂々とゴールする姿に笑顔を見せた。「五輪で日の丸を背負うことが決まってから、きつかったと思う。しっかり心と体を休めてほしい」。昨年から今年にかけて右太ももの肉離れ、左脚炎症と相次いだけがを乗り越えてきた。「目標に向かって走る姿は人に勇気を与えたはず」とたたえた。

 

(吉光慶太、斎藤徹、鈴木弘人)

 

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